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About PUMA > Company > History >

1924
・ドイツのヘルツォーゲンアウラッハに、ゲブルーダー・ダスラー・シューファブリック社を設立
1936
・ベルリンオリンピックにおいて、アメリカ人の英雄、ジェシー・オーウェンスがダスラー社製のシューズを履いて走り4個の金メダルを獲得。同オリンピック出場のサッカードイツ代表チーム選手の多くがダスラー社製のスパイクを履いて出場。ダスラー社製のスパイクを履いた選手によるメダルの合計獲得数は金7個と銅5個で、うち2人が世界記録、3人がオリンピック記録を更新する。
1948
・プーマ・シューファブリック・ルドルフ・ダスラー社設立。

・プーマ初のサッカースパイク、プーマ アトムを発表。

・第二次世界大戦後初のサッカーの試合で、戦後初のゴールを決めたハーバート・ブルデンスキを含む西ドイツチーム多数の選手がプーマサッカースパイクを履いて出場
1952
・フィンランドのヘルシンキオリンピックにて、ルクセンブルクのジョセフ・バーテルが1500メートル走でプーマ初のオリンピック金メダルを獲得。
1954
・プーマのシューズを履いた西ドイツのハインツ・フテラーが横浜で100メートル走の世界記録を達成。
1958
・スウェーデンで行われたワールドカップの試合にて、スウェーデンとブラジルのチームが初めてプーマのトレードマークのフォームストライプがデザインされたサッカースパイクを履く。
1959
・会社形態が有限会社に変更され、社名をプーマ・スポーツシューファブリケン・ルドルフ・ダスラー・KGとする。
1960
・ローマオリンピックにて、西ドイツのアーミン・ハリーが100メートル走にプーマのトラックシューズを履いて出場し優勝する。プーマは、スポーツシューズメーカーとして初めて最新の加硫式製造技術(バルカナイズト製法)を使用。
1962
・チリで行われたワールドカップにて、プーマスパイクを履いたペレが2年連続の勝者となる。
1964
・東京オリンピックにて、ベルギーのガストン・ローラン(3000メートル障害)、英国のマリー・ランド(走り幅跳び)、エチオピアのアベベ・ビキラ(マラソン)がプーマシューズを履いて金メダルを獲得。 
1966
・英国で行われたワールドカップにて、得点王となり“最高殊勲選手”に輝いたポルトガルのスーパースター、エウゼビオがプーマの「キング」スパイクを履いた。
1968
・メキシコオリンピックにて、トミー・スミス(200メートル走)、リー・エバンス(400メートル走)、ウィリー・ダバンポート(110メートル ハイハードル)、ボブ・シーグレン(棒高跳び)の4名がプーマのシューズを履いて金メダルを獲得。

・プーマトラックシューズを履いたジム・ハインズが100メートルを10秒以下で走った初の選手となる。

・プーマは世界で初めてベルクロ・ファスナーを採用したスニーカーを製造。
1969
・ニューヨーク・ジェッツ(アメリカンフットボール)のクォーターバック、ジョー・ナマスがプーマスパイクを履いて、チームを第3回スーパーボールへ導く。
1970
・メキシコで行われたワールドカップ決勝戦にて、ブラジルのペレがプーマ「キング」スパイクを履いて試合に出場。ブラジルはイタリアを破り3度目のワールドカップ優勝を果たし、ペレは「最高殊勲選手」となる。
1972
・ミュンヘンオリンピックにて、マリー・ピータース(アメリカ、5種競技)、ジョン・アキイ−ブア(ウガンダ、400メートルハードル)、ランディー・ウィリアムズ(アメリカ、走り幅跳び)、クラウス・ウルファーマン(西ドイツ、やり投げ)の各選手がプーマシューズを履いて金メダルを獲得。
1973
・アメリカのドワイト・ストーンズがプーマシューズを履いて走り高跳びで3つの世界記録を達成する。
1974
・ドイツで行われたワールドカップで「最高殊勲選手」に選ばれたオランダのスター選手、ヨハン・クライフがプーマのサッカースパイクを履く。クライフは2年連続で栄誉ある「ヨーロピアン・フットボーラー・オブ・ザ・イヤー」も獲得。
1976
・アメリカのドワイト・ストーンズがプーマシューズを履いて走り高跳びの世界記録を更新。

・プーマは革新的なPSA技術を発表。
1977
・アルゼンチンのギレルモ・ヴィラスがプーマのシューズを履いてフレンチ・オープンとUSオープンの両テニストーナメントで優勝。

・デンマークチームとドイツのボルシア・メンヒェングラットバッハ・クラブチームでフォワードを務めるプーマ提携選手、アラン・シモンセンが「ヨーロピアン・フットボーラー・オブ・ザ・イヤー」に選ばれる。
1978
・ギレルモ・ヴィラスがプーマのテニスシューズを履いてオーストラリア・オープン・テニス・トーナメントで優勝。

・ワールドカップにて、アルゼンチンのマリオ・ケンペスが母国でチームを初の優勝に導く。ケンペスはチームの他の9人の選手とともにプーマのスパイクを履いて試合に臨み、本大会の得点王となる。
1979
・アメリカのレナルド・ニヒマイアがプーマのスパイクシューズを履いて110メートルハードルで3つの世界新記録を達成する。
1981
・アメリカンフットボールチーム、オークランド・レイダースのスター、マーカス・アレンがプーマスパイクを履いてプレーする多くのNFLスターの1人となる。
1982
 ・スペインで行われたワールドカップで、イタリアチームのウイング、ブルーノ・コンチがプーマのシューズを履いて出場し、チームを優勝に導く。

・アルゼンチンのディエゴ・マラドーナがプーマスパイクを履いてワールドカップ初出場を飾る。
1983
・アメリカ人の陸上競技選手、シドニー・マリーがプーマスパイクを履いて1500メートル走で世界新記録を樹立。
1984
・ロサンゼルスオリンピックにて、エブリン・アシュフォード(100メートル走)がプーマスパイクを履いて二つの金メダルを獲得。

・マルチナ・ナブラチロワ(チェコスロバキア、後にアメリカ)がプーマのテニスシューズとウェアを着用しウィンブルドンで優勝を果たす。
1985
・ドイツのボリス・ベッカーがプーマのテニスシューズとラケットを使用してウィンブルドンで優勝。ベッカーはこの権威ある選手権における最年少かつ唯一シード外からの優勝者となった。 
1986
・プーマ有限会社が株式会社となり、プーマの株式がミュンヘンとフランクフルトの証券取引所で一般公開される。

・ディエゴ・マラドーナがアルゼンチンチームをワールドカップ優勝へ導く。プーマのサッカースパイクを履いて出場したマラドーナは有名な「神の手」ゴールと目を見張るソロプレーで後にFIFAより「ゴール・オブ・ザ・センチュリー」の正式表彰を受け、また当トーナメントの最高殊勲選手にも選ばれる。
1987
・マルチナ・ナブラチロワ(チェコスロバキア、後にアメリカ)がプーマのテニスシューズとウェアを着用しウィンブルドンで優勝。 
1989
・「トリノミック」スポーツ・シュー・システムを発表。
1990
・靴底の中心に位置する窓により成長をモニターすることを可能にした子供用シューズのシステム「インスペクター」を発表。

・プーマの契約するミッドフィールダー、ローター・マテウスがキャプテンを務めるドイツチームがワールドカップで1974年以降初の優勝を飾る。マテウスは「ヨーロピアン・フットボーラー・オブ・ザ・イヤー」、「ワールド・フットボーラー・オブ・ザ・イヤー」、「ワールド・スポーツマン・オブ・ザ・イヤー」に選ばれる。
1991
・最先端技術「プーマ・ディスク・システム」を登用したスポーツシューズを発表。

・イギリスの大手皮革製品製造業者、ピッターズ社と専属契約をかわす。
1992
・プーマ契約チーム、ベルダー・ブレーメンがリスボンで行われたUEFAカップ ウィナーズ・カップで優勝。

・バルセロナオリンピックにて、ドイツのハイク・ドレスラー(走り幅跳び)、ディーター・ボーマン(5000メートル走)、英国のリンフォード・クリスティ(100メートル走)の各選手がプーマのスパイクを履いて金メダルを獲得。

・プーマの資本金は2千万ドイツマルクの増加となり、株式資本は7千万ドイツマルクに達する。
1993
・ヨッヘン・ザイツが理事会における最高経営責任者兼会長に任命され、安定した財政基盤の確立を目的とした長期的な事業発展計画の第一段階が始まる。

・プロヴェンタス/アリトモス B.V.がプーマAGの筆頭株主となる。

・シュツットガルトで行われた陸上競技世界選手権で、「プーマのファンタスティック・フォー」と呼ばれるドイツのハイク・ドレクスラー、ジャマイカのマーリーン・オティー、英国のリンフォード・クリスティとコリン・ジャクソンがそれぞれ金メダルを獲得。コリン・ジャクソンは110メートルハードルで今日なお未踏の世界記録12.91秒を樹立する。

・プーマ契約チームのヴェーダー・ブレーメンがドイツ・フットボール選手権で優勝。
1994
・マーリーン・オティーとコリン・ジャクソンが50メートルダッシュと60メートルハイハードルの屋内世界新記録を達成。

・プーマが推進する草の根活動「ストリート・サッカー」が生まれる。

・1986年の新規株式公開以来初の利益計上を行う。

・アルゼンチンの公式チームでプーマの提携チームであるベレス・サルスフィエルド(南アメリカのコパ・リベルタドレス現チャンピオン)が東京で行われたワールド・クラブ選手権でA.C.ミランを2対0で破り優勝。
1995
・リンフォード・クリスティがプーマスパイクを履いて、一時間に60メートル(6.47秒)と200メートル(20.25秒)の二つの屋内短距離走記録を達成する。

・グーテボーグで行われた国際選手権にて、英国のジョナサン・エドワーズが3段跳びで新記録(18.29メートル、現在も未踏)を出し、金メダルを獲得。マーリーン・オティは200メートルで金メダルを獲得する。

・スペインのプーマ契約チーム、レアル・サラゴッサがUEFAカップ ウィナーズ・カップで優勝。
1996
・劣化を防ぐため、初の発泡素材を使用しないミッドソールを使った「プーマ・セル」を発表。

・北アメリカでの販売権を取得。プーマの完全子会社プーマ・ノース・アメリカを設立する。

・「キング」サッカースパイクのために特別に開発されたピッターズ社製の新皮革「ピッターズ・サッカー2000」を発表。最新版のキングスパイクはイギリスで開催されたユーロ96(欧州チャンピオンシップ)で披露され、このスパイクを履いたチェコスロバキアチームが決勝戦へ出場する。

・プーマ契約チーム、アトレチコマドリードがスペインリーグで優勝を果たす。

・プーマの後援する第2回ストリートサッカー・カップの決勝戦が、英国ロンドンにて28カ国の参加のもと開催される。
1997
・イタリア子会社が営業を開始。チリで初の合弁事業を設立。

・4期連続して経営成績における記録を更新する。 ・アメリカの映画制作会社、モナーキー/リーセンシー・エンタープライゼスがプロベンティスABから株式を譲り受け、25パーセントの株式を所有する多数株主となる。 ・マーケティングと商品開発に重点を置いてブランドの再位置づけを目的とする第二期長期事業発展計画が始まる。 ・ミッドソールを使わないクッション技術が特徴のフットボールスパイク、プーマセル・フットボールを披露。
1998
・スポーツとファッションを融合する初のスポーツブランドとして、デザイナー、ジル・サンダーと提携。サンダーと共同制作したフットボールコレクションを発表。

・コレル・WTA・ツアーのオフィシャルスポンサーとして、セリナ・ウィリアムズのスポンサーとなる。

・エンターテイメントの分野では、「シティー・オブ・エンジェル」等のハリウッド映画で商品が起用され、また、人気ロックバンド KORNと契約を交わす。

・ワールドカップにて、出場選手の23パーセントがプーマスパイクを履く。

・ノース・カロライナのバスケットボールスターで後にNBAのドラフトでトロント・ラプターズへ行くヴィンス・カーターと提携。
1999
・プーマUKを完全子会社とする。

・ボクシングスターのオスカー・デラホーヤ、そして世界第2位の高額取得フットボールプレーヤーとなるフランスのストライカー、ニコラス・アネルカの両者と契約。

・日本の前橋で行われたIAAF世界室内陸上選手権の60メートルハードルでコリン・ジャクソンが優勝。ジェイミー・バウチは400メートル走で優勝する。

・スペインのセビリアで行われたIAAF世界選手権で、プーマの契約するコリン・ジャクソン(110メートルハードル)、ウィルソン・キプケテル(デンマーク、800メートル)、クリストファー・コスゲイ(3000メートル障害)、ツィアミタ・パラスケビ(ギリシャ、3段跳び)の4名が優勝し、ケニアのノア・ジェニーが1500メートル走を2分11秒96で走り、世界記録を更新する。

・アメリカ人ボクサー、オスカー・デラホーヤがオバ・カーとアイク・コーティーを破り、勝ち星を2個追加する。

・ロゴ・アスレチックのサポートを受けてプーマがアメリカン・チーム・スポーツに復帰。ナショナル・フットボール・リーグ(NFL)の公式サプライヤーとなる。また、ナショナル・バスケットボール・アソシエーション(NBA)の9チームにユニフォーム等を供給。

・カリフォルニアのサンタモニカに、初のプーマストアをオープン。

・セレナ・ウィリアムズがUSオープンでマルチナ・ヒンギスを破り初のグランド・スラムを達成。

・プーマの契約するS.S.ラツィオがバーミンガムで行われたUEFAカップ ウィナーズカップで優勝。後にモナコで行われた欧州 スーパーカップでもマンチェスター・ユナイティッドを破り勝利を収める。

・プーマの契約するバスケットボールスター、ヴィンス・カーターがNBAの「新人王」に輝く。
2000
・クリスティ・ターリントンとプーマが共同でヨガに触発されて生まれたコレクション「ヌアラ」を発表。「ヌアラ」はただちにハイエンドファッションストアの支持を受け、プーマブランドが女性用アクティブウェアの最前線に進出する。

・プーマ初めての高級スポーツウェア「PLATINUM/プラチナ」を発表。

・ポルシェ、スパルコと提携し、カーレース用の耐火シューズの開発に着手。

・地域的なインターネット通信販売を可能にしたウェブサイト、Puma.comを開始。同サービスは営業開始1年以内に利益を出すことの出来た小数のネットサービスのうちのひとつとなる。

・イタリアでプーマ・ステートメントチームのS.S.ラツィオがリーグとカップの3部優勝(セリエA、イタリアンカップ、イタリアン・スーパーカップ)を果たす。

・サッカーでは、プーマの契約するカメルーンチームがラゴスで行われたアフリカ ネーションズ カップでナイジェリアに対しPK戦で劇的な勝利をおさめる。6ヵ月後、同チームはシドニーオリンピックで優勝し、カメルーン初のオリンピック金メダル獲得を果たす。

・シドニーオリンピックでプーマ後援選手のコンスタンティノス・ケンテリス(ギリシャ、短距離走)とノア・ジェニー(ケニア、中距離走)の2名が金メダルを獲得する。
2001
・モーター・レースの分野に介入すべく、ジョーダン・グランプリとパートナー契約を交わし、企業戦略の強化をはかる。

・スカンジナビアのトレトン・グループの買収を発表。この買収によりプーマはスカンジナビア市場での基盤強化と同地域における販売権の回復を果たした。

・日本のデザイナー、ミハラヤスヒロと共同してスポーティーなルックスとファッション性を兼ね備えたシューズを製作。

・サンタモニカ店の成功を受け、サンフランシスコにコンセプト・ストア2号店を、ニューヨークに3号店をオープン。

・カメルーンチームをフィーチャーした2002年ワールドカップ向け広告キャンペーンを発表。

・セレナ・ウィリアムズがUSオープン決勝へ進出し、姉のヴィーナス・ウィリアムズと対決。

・ギリシャのスプリンター、コンスタンティノス・ケンテリスが引き続き200メートルを制し、エドモントン世界選手権で金メダルを獲得する。

・プーマのステートメント・プレーヤー、エル・ハジ・ディウフ(セネガル)が「アフリカン・フットボーラー・オブ・ザ・イヤー」に指名される。

・フリースタイル、スーパークロス、アウトドアの異なった3種の分野で熟達したモトクロスレースの世界チャンピオン、トラビス・パストラナと契約。
2002
・ロンドン、ローマ、東京、ミラノ、ボストン、フランクフルト、シアトル、メルボルンにプーマストアをオープン。

・Puma.comの自国サイトをドイツ、フランス、韓国、日本、チェコスロバキアで開始。

・新しいセラレーター・フットボールスパイク「蹴道 (SHUDOH)」を発表。プーマは世界各地の寿司バーで「SHUDOH Sushiパーティー」を主催。

・カメルーンチームがプーマの革新的なノースリーブシャツを着用し、アフリカ ネーションズ カップで優勝する。

・プーマとセレナ・ウィリアムズはシックでファッショナブルな色使いが特徴の洋服とテニスシューズからなる新コレクション「2002 セレナ・ウィリアムズコレクション」を発表。

・セレナ・ウィリアムズがワールドカップのカメルーン サッカー代表 チームを応援し、ノースリーブのテニスウェアーでフレンチオープンに出場。優勝を果たす。

・セレナ・ウィリアムズがウィンブルドンで優勝し、初めて世界ランク1位となる。

・セレナ・ウィリアムズがブラック プーマ キャットスーツを着用し、USオープンで優勝。

・ビジネスの分野で活躍する人々をターゲットにした、出張のための機能的なアパレルとシューズのコレクション、「96 HOURS」の販売を開始。

・モトクロス選手のトラビス・パストラーナがグラビティー・ゲームスで7回の後方宙返りを達成し、金メダルを獲得。

・プーマの「nuala/ヌアラ」コレクションのためにデザイナーのマーク・ジェイコブスと共同制作したヨガマットバッグの限定版、クリスティー・バッグを販売開始する。

・古着から作られた510足の個性的なシューズ「トップ・ウィナー・スリフト」の限定版を売り出す。

・ジャマイカ・オリンピック連盟、ジャマイカ陸上競技協会と契約を交わす。

・フランスのロベール・ピレスがイギリスのアーセナルで目覚しい活躍をし、フットボーラー・オブ・ザ・イヤーの指名を受ける。ミッドフィールダーのピレスは9つのゴールを決め、プレミア・リーグを主導。アーセナルにダブル制覇(プレミア・リーグとFAカップ)をもたらす。

・イタリア出身で世界一の契約料を誇るゴールキーパー、ジャンルイジ・ブッフォンがパルマからユベントスに移籍するにあたり契約を交わす。

・韓国/日本ワールドカップで、プーマの後援するエル・ハジ・ディウフがFIFAワールドカップ・オールスターチームに選出され、韓国のジュン・ファン・アンが「ゴールデン・ゴール」を決めてイタリアを破り、韓国チームを母国での準決勝進出に導く。

・スペインのチェマ・マルティネス(10,000メートル)、デンマークのウィルソン・キプキター(800メートル)、ギリシャのコンスタンティノス・ケンテリス(200メートル)がミュンヘンで行われたヨーロッパ選手権で金メダルを獲得。

・サッカーイタリア代表チームと4年契約を交わす。
2003
・ジャマイカチームとの結びつきを、スポーツライフスタイルスニーカー「H. Street」を切り口にした雑誌・テレビ広告を含む春のブランドキャンペーンテーマとして訴求。

・WRCのFIAワールドラリーチャンピオンシップと契約を交わし、アパレルとシューズの公式サプライヤーとなる。

・日本に子会社として「プーマ ジャパン株式会社」を設立。

・プーマの株式の大部分を保有するMonarchy/Regencyが、その株式を一般投資家に売却。1948年の株式会社設立以降、Puma AG(プーマ本社)にとっては初めての大株主の存在しない経営がはじまる。

・アジアのアーティスト集団「Stoique」と「Scrawl Collective 」と共同制作により、独創的な「Paintura Pitch」サッカーボールとジャージを発表する。

・クロスカントリー2キロ、4×50メートル水泳リレー、マウンテンバイク4キロ、4対4フットボールの4競技を1チーム4人の女性で競い合う、新しいヨーロピアン クロストレーニングイベント「4some」を展開。

・ウーマンズワールドカップの協賛のため、上海灘(シャンハイ・タン)と契約。「Shudoh Tang (シュウドウ・タン)」を制作する。

・トラビス・パストラーナはX−Gamesでの金メダル獲得。

・ニール・バレットとの契約により、スポーツ、ライフスタイル、ファッションの各カテゴリーの融合をめざす。

・ファッション写真家のユルゲン・テラーが2003年秋のブランドキャンペーン “Hello”を撮影する。

・シドニー、アムステルダム、大阪、フィラデルフィア、ラスベガス、ストックホルムにプーマストアをオープン。

・プーマはBMW Williams F1チームと複数年契約を交わし、シューズ、チームウェア、レースウェアの公式納入業者となる。

・2004年アフリカ ネーションズ カップで登場する新しいカメルーン代表ユニフォームを支援するため、ユーロスポーツとMTVにおいてテレビコマーシャルを放映する。
2004
・国際的に有名なデザイナー、フィリップ・スタルクと共同制作の契約を交わす。プーマとフィリップ・スタルクによる革新的なフットウェア・コレクションを2004年秋に発表。

・プーマAGとマイルドセブン・ルノー・F1チームが複数年契約を交わす。プーマAGは同チームのチームウェア、チームシューズのオフィシャルサプライヤーとなり、納入品にはピットクルー用のウェアとシューズも含まれる。

・2004年アフリカ ネーションズ カップに出場するカメルーン代表チームのために制作した画期的なワンピース「ユニQT」を発表。「ユニQT」は2002年のアフリカ ネーションズ カップで同チームが着た新しいタイプの袖なしシャツの後続ウェア。

・デザイナーのニール・バレットと共同で2004年度イタリア代表チームのユニフォームを制作。プーマの2003年度イタリア代表チームウェアのクリエイティブ・ディレクターだったバレットは新規ユニフォームに創造的なイメージを付加。また、自らチームのための正式フォーマルウェアもデザインする。

・ジャマイカ・オリンピック連盟(JOA)とジャマイカ・アマチュア陸上競技協会(JAAA)の公式サプライヤーとして、オリンピック開催年にあたり、ジャマイカ代表チームを称えるグローバル・キャンペーンを行う。アテネオリンピックでは、ジャマイカ代表の女子リレーチームが400メートルリレーで銅メダル、100メートルリレーで金メダルを獲得する。

・プーマとフェラーリ社は複数年契約を交わす。

・プーマAGはレプリカとファン向け商品のオフィシャル・ライセンシーとなると同時に、常に最も強いF1チームであるスクデリア・フェラーリ・マルボロチームのオフィシャルサプライヤーとなり、レース用品に加え、チームウェア、シューズ、アクセサリーを納品する。本契約に含まれる重要事項にはフェラーリのオフィシャルグッズコレクションの製造販売がある。

・ミハエル・シューマッハのレース用シューズのオフィシャルサプライヤーとなる。多数の栄冠を保有するシューマッハは、中国の上海で行われたグランプリからプーマのレーシングシューズを着用。
2005
・スウェーデン陸上競技協会と契約。2005年1月1日から有効となる本契約によりプーマはスウェーデン代表チームが全ての主要なイベントで着用するウェアの納入業者となる。

・ブンデスリーガー・クラブの契約チームにハンブルガーSVを加え、2005年夏よりHSVの正式サプライヤーとなる。

・資金運用会社のメイフェアがプーマAG・ルドルフ・ダスラー・スポーツ社株式の16.91パーセントを取得する。

・モロッコ陸上競技協会と長期契約を交わす。

・資金運用会社メイフェアより2005年9月6日をもって同社の議決権が規定割合である25%超となった旨、通知を受ける。同社はプーマ株式の25.27%に当たる4,256,085株を取得。
2006
・第四期長期事業発展計画が始まる。企業の拡大期である第四期では、“最も望まれるスポーツライフスタイルブランドになること”を長期目標として掲げる。

・第四期の手始めに、日本(アパレル事業)、香港、台湾、アルゼンチン、トルコのかつてのライセンスパートナーと共に、プーマが過半数を所有する合弁事業を開始。また、中東地域への展開のために、インドとドバイに完全子会社を設立。

・3月、新しいゴルフコレクションを立ち上げる。プーマゴルフはプレーを向上させ、洗練されたスタイルを強調するゴルフシューズ、ウェア、アクセサリー、そしてライフスタイルにゴルフを取り入れるためのセレクトアイテムを男性用・女性用取り揃えて提供する。

・チャリティ団体United for Africaとの共同提携を開始。

・ワールドカップ・ドイツ大会において、イタリア、チェコ、ポーランド、スイス、パラグアイ、サウジアラビア、イラン、そしてアフリカの5チーム:ガーナ、アンゴラ、トーゴ、コートジボワール、チュニジアの計12チームに用具一式を供給。ワールドカップ期間中のブランド認知度は56%に達し、認知度において最も優勢なブランドとなる。

・プーマの歴史上初めて、プーマ契約チームがワールドカップで優勝。7月9日ベルリンでイタリア代表、通称スクアドラ・アズーラがPK戦を5:3で制してフランス代表を敗り、4度目のワールドカップチャンピオンに輝く。

・イェーテボリで開催されたヨーロッパ陸上選手権において、初めて主要スポンサーの一社に名を連ねる。

・9月18日、ダウ・ジョーンズ・サステナビリティ・インデックスに採用される。S.A.F.E.コンセプトは社会基準、環境基準を継続的に向上させるための専門ツールとしてプーマが開発したものである。

・世界的に有名なオランダ人デザイナー、マルセル・ワンダースとの共同制作を発表。

・マンハッタンのユニオンスクエアに、斬新なデザインを取り入れたプーマストアの新店舗をオープンする。

・世界有数のモーターサイクルメーカーでMoto GPのトップチームであるドゥカティとの新たな協力体制に合意。

・アメリカ人写真家、デヴィッド・ラシャペルと協力関係を結ぶ。

・1997年より続くカメルーンサッカー協会(FECAFOOT)との提携契約の長期延長を発表。
2007
・モロッコサッカー協会と長期の提携契約を結ぶ。

・2007年レースシーズンより、レッドブルが所有する4つのモータースポーツチーム:レッドブル・レーシング、スクーデリア・トロ・ロッソ、レッドブルNASCAR、レッドブル・エアレースの公式サプライヤーとなる。

・自社ボートによるボルボ・オーシャンレース2008?2009シーズンへの参戦を表明。加えて、公式サプライヤーおよび、この外洋レースのレプリカ商品公式ライセンシーとなる。レースは2008年10月にスペインのアリカンテを出発し、2009年6月サンクトペテルブルグでゴールを迎えるという行程。このレースに参戦することで、プーマは新たな高級品市場に参入し、この種の冒険に漕ぎ出した最初のスポーツライフスタイル企業となる。

・ナミビアサッカー協会とスポンサー契約を結ぶ。

・理事会は監督委員会の承認の下、自己株式の消却を発表。株式資本は3,251,200.00ユーロ(1,270,000株、約7.4%)減少し、44,118,307.84ユーロから40,867,107.84ユーロに変更される。
・ハンブルグの資産運用会社メイフェアより、同社保有のプーマ株式約25.14%(2007年4月5日に決議された自己株式の消却発効後の27.14%に相当)をパリを拠点とするPPRのほぼ100%の子会社SAPARDISへ売却した旨、報告を受ける。売却価格は1株330ユーロで、SAPARDISは同価格で他の株主に対する株式公開買付を自主的に実施する。

・2008年1月1日設立の完全子会社プーマ・コリアを通じ、韓国市場への直接参入を表明する。

・2008年1月1日付けで、メロディ・ハリス-イェンスバッハが理事会の最高経営責任者(CEO)代理に指名される。

・7月11日、SAPARDISは株式公開買付の期間終了後、プーマの全議決権のうち計62.1%を保有。

・6月16日付けで、フランソワ-アンリ・ピノ、ジャン-フランソワ・パル、グレゴワール・アミーグの3名が監督委員に就任し、監督委員会は6月19日、フランソワ-アンリ・ピノを満場一致で委員長に指名。

・ヨッヘン・ザイツがハーレーダビッドソンの取締役会メンバーに指名される。

・ヨッヘン・ザイツがPPRの執行委員会および投票権を持たない取締役会のメンバーとして指名される。

・ピース・ワン・デイとの長期パートナー契約に合意。

・2008年8月、ステファノ・カロッティを新設の最高商務責任者(CCO)に選任し、理事会のメンバーに指名。2008年1月には、ライナー・ザイツ、アントニオ・ベルトーネを理事会の代理メンバーに選任。ザイツは最高サプライチェーン責任者(CSO)として、ベルトーネは最高マーケティング責任者(CMO)として就任した。

・9月、予定よりも早く最高経営責任者(CEO)兼会長ヨッヘン・ザイツの契約延長を発表。5年後の2012年までの任期となる。

・2005-2006年持続可能性報告書を発行。今回初めてドイツ技術監査機関テュフの認証・承認を受ける。プーマの持続可能性報告書はスポーツメーカー初のGRIアプリケーションレベル最高のA+を獲得。

・11月、ヘルツォーゲンアウラッハの新しいプーマ本社、プーマプラザで盛大なセレモニーを開催。

・2008年1月1日、完全子会社プーマスポーツ・ルーマニアを設立すると発表。

・ザグレブに完全子会社プーマスポーツ・クロアチアを設立すると発表。
2008
・2008年サッカーアフリカカップの主要サプライヤーとして、16チーム中9チームに用具一式を供給する。

・ガーナサッカー協会(GFA)と2014年FIFAワールドカップ期間を通じて良好な提携関係を結ぶべく、複数年契約の締結を発表。

・5月12日、ボルボ・オーシャンレース2008〜2009シーズン用の新しいレース艇をボストン港でお披露目。このヨットは女優サルマ・ハエックによって「イル・モストロ」と命名された。

・ジェルジオ・ ベローリが、プーマの子会社フセイン・チャラヤンのCEOに就任。

・プーマ・バイ・ミハラヤスヒロから、新しいスポーツファッション アパレルコレクションが登場し、同ブランドのシューズにマッチしたウェアを展開。

・5月31日、プーマ・アスリートのウサイン・ボルトが、ニューヨークの大会で100 m の世界記録、9秒72を樹立。

・UEFA欧州選手権2008で、世界王者イタリアやホスト国のオーストリア、スイスなど5つのナショナルチームのスポンサーとなる。

・DOBOTEX とソックスのライセンス契約を延長し、新たにボディウェアのライセンス契約を締結。

・2008年の北京オリンピックで、16のナショナルチームのスポンサーとなる。

・プーマが誇る最高のアスリート、「サンダー」ボルトが100 m で再び世界記録を更新(9秒69)。同年5月にマークした自らの記録を塗り替えた。200 m でも19秒30の世界新記録をマークし、マイケル・ジョンソンが1996年に出した記録を0秒02更新。男子400 m リレーでもジャマイカチームの世界記録更新(37秒10)に貢献し、3つ目の金メダルを手にした。

・セルジオ・ロッシとコラボレートし、ミラノファッションウィークで、レディースシューズのミニコレクションを発表。

・世界的な非営利団体「Peace One Day」と共同で、9月21日の世界平和デーを祝う。

・ドイツ・ブンデスリーガのVfBシュトゥットガルトと契約を2015年まで延長。

・南アフリカの少年非行防止キャンペーンに賛同し、フェアトレード認証マークの付いたサッカーボールを初めて開発。

・エジプトサッカー協会との契約を、2014年のFIFAワールドカップ(開催地:ブラジル)以降まで延長。


・サッカーエジプト代表がアフリカカップで優勝。プーマ契約チームの優勝は6度目となった。

・コートジボワールサッカー協会と2014年FIFAワールドカップ期間も提携関係を継続することに合意。

・スウェーデン陸上競技協会と2012年末まで契約を延長。

・世界的に有名なデザイナーで、アーティスト、映画監督でもあるフセイン・チャラヤンをクリエイティブ・ディレクターに起用。チャラヤンはブランドのスポーツファッション・コレクションにおけるデザイン、制作、開発を任される。また、プーマはチャラヤンのビジネスおよび自身のブランドである、フセイン・チャラヤン株式の過半数を獲得した。

・プーマとスイスサッカー協会(SFV)は1998年に始まった提携契約を、2010年ワールドカップおよび2012年ヨーロッパ選手権を越え、複数年に渡り延長すると発表。

・2009年1月1日付けで、DOBOTEX の支配株主となる。