About PUMA > Company > History > |
![]()
1924・ドイツのヘルツォーゲンアウラッハに、ゲブルーダー・ダスラー・シューファブリック社を設立 |
1936・ベルリンオリンピックにおいて、アメリカ人の英雄、ジェシー・オーウェンスがダスラー社製のシューズを履いて走り4個の金メダルを獲得。同オリンピック出場のサッカードイツ代表チーム選手の多くがダスラー社製のスパイクを履いて出場。ダスラー社製のスパイクを履いた選手によるメダルの合計獲得数は金7個と銅5個で、うち2人が世界記録、3人がオリンピック記録を更新する。 |
1948・プーマ・シューファブリック・ルドルフ・ダスラー社設立。 |
1952・フィンランドのヘルシンキオリンピックにて、ルクセンブルクのジョセフ・バーテルが1500メートル走でプーマ初のオリンピック金メダルを獲得。 |
1954・プーマのシューズを履いた西ドイツのハインツ・フテラーが横浜で100メートル走の世界記録を達成。 |
1958・スウェーデンで行われたワールドカップの試合にて、スウェーデンとブラジルのチームが初めてプーマのトレードマークのフォームストライプがデザインされたサッカースパイクを履く。 |
1959・会社形態が有限会社に変更され、社名をプーマ・スポーツシューファブリケン・ルドルフ・ダスラー・KGとする。 |
1960・ローマオリンピックにて、西ドイツのアーミン・ハリーが100メートル走にプーマのトラックシューズを履いて出場し優勝する。プーマは、スポーツシューズメーカーとして初めて最新の加硫式製造技術(バルカナイズト製法)を使用。 |
1962・チリで行われたワールドカップにて、プーマスパイクを履いたペレが2年連続の勝者となる。 |
1964・東京オリンピックにて、ベルギーのガストン・ローラン(3000メートル障害)、英国のマリー・ランド(走り幅跳び)、エチオピアのアベベ・ビキラ(マラソン)がプーマシューズを履いて金メダルを獲得。 |
1966・英国で行われたワールドカップにて、得点王となり“最高殊勲選手”に輝いたポルトガルのスーパースター、エウゼビオがプーマの「キング」スパイクを履いた。 |
1968・メキシコオリンピックにて、トミー・スミス(200メートル走)、リー・エバンス(400メートル走)、ウィリー・ダバンポート(110メートル ハイハードル)、ボブ・シーグレン(棒高跳び)の4名がプーマのシューズを履いて金メダルを獲得。 |
1969・ニューヨーク・ジェッツ(アメリカンフットボール)のクォーターバック、ジョー・ナマスがプーマスパイクを履いて、チームを第3回スーパーボールへ導く。 |
1970・メキシコで行われたワールドカップ決勝戦にて、ブラジルのペレがプーマ「キング」スパイクを履いて試合に出場。ブラジルはイタリアを破り3度目のワールドカップ優勝を果たし、ペレは「最高殊勲選手」となる。 |
1972・ミュンヘンオリンピックにて、マリー・ピータース(アメリカ、5種競技)、ジョン・アキイ−ブア(ウガンダ、400メートルハードル)、ランディー・ウィリアムズ(アメリカ、走り幅跳び)、クラウス・ウルファーマン(西ドイツ、やり投げ)の各選手がプーマシューズを履いて金メダルを獲得。 |
1973・アメリカのドワイト・ストーンズがプーマシューズを履いて走り高跳びで3つの世界記録を達成する。 |
1974・ドイツで行われたワールドカップで「最高殊勲選手」に選ばれたオランダのスター選手、ヨハン・クライフがプーマのサッカースパイクを履く。クライフは2年連続で栄誉ある「ヨーロピアン・フットボーラー・オブ・ザ・イヤー」も獲得。 |
1976・アメリカのドワイト・ストーンズがプーマシューズを履いて走り高跳びの世界記録を更新。 |
1977・アルゼンチンのギレルモ・ヴィラスがプーマのシューズを履いてフレンチ・オープンとUSオープンの両テニストーナメントで優勝。 |
1978・ギレルモ・ヴィラスがプーマのテニスシューズを履いてオーストラリア・オープン・テニス・トーナメントで優勝。 |
1979・アメリカのレナルド・ニヒマイアがプーマのスパイクシューズを履いて110メートルハードルで3つの世界新記録を達成する。 |
1981・アメリカンフットボールチーム、オークランド・レイダースのスター、マーカス・アレンがプーマスパイクを履いてプレーする多くのNFLスターの1人となる。 |
1982・スペインで行われたワールドカップで、イタリアチームのウイング、ブルーノ・コンチがプーマのシューズを履いて出場し、チームを優勝に導く。 |
1983・アメリカ人の陸上競技選手、シドニー・マリーがプーマスパイクを履いて1500メートル走で世界新記録を樹立。 |
1984・ロサンゼルスオリンピックにて、エブリン・アシュフォード(100メートル走)がプーマスパイクを履いて二つの金メダルを獲得。 |
1985・ドイツのボリス・ベッカーがプーマのテニスシューズとラケットを使用してウィンブルドンで優勝。ベッカーはこの権威ある選手権における最年少かつ唯一シード外からの優勝者となった。 |
1986・プーマ有限会社が株式会社となり、プーマの株式がミュンヘンとフランクフルトの証券取引所で一般公開される。 |
1987・マルチナ・ナブラチロワ(チェコスロバキア、後にアメリカ)がプーマのテニスシューズとウェアを着用しウィンブルドンで優勝。 |
1989・「トリノミック」スポーツ・シュー・システムを発表。 |
1990・靴底の中心に位置する窓により成長をモニターすることを可能にした子供用シューズのシステム「インスペクター」を発表。 |
1991・最先端技術「プーマ・ディスク・システム」を登用したスポーツシューズを発表。 |
1992・プーマ契約チーム、ベルダー・ブレーメンがリスボンで行われたUEFAカップ ウィナーズ・カップで優勝。 |
1993・ヨッヘン・ザイツが理事会における最高経営責任者兼会長に任命され、安定した財政基盤の確立を目的とした長期的な事業発展計画の第一段階が始まる。 |
1994・マーリーン・オティーとコリン・ジャクソンが50メートルダッシュと60メートルハイハードルの屋内世界新記録を達成。 |
1995・リンフォード・クリスティがプーマスパイクを履いて、一時間に60メートル(6.47秒)と200メートル(20.25秒)の二つの屋内短距離走記録を達成する。 |
1996・劣化を防ぐため、初の発泡素材を使用しないミッドソールを使った「プーマ・セル」を発表。 |
1997・イタリア子会社が営業を開始。チリで初の合弁事業を設立。 |
1998・スポーツとファッションを融合する初のスポーツブランドとして、デザイナー、ジル・サンダーと提携。サンダーと共同制作したフットボールコレクションを発表。 |
1999・プーマUKを完全子会社とする。 |
2000・クリスティ・ターリントンとプーマが共同でヨガに触発されて生まれたコレクション「ヌアラ」を発表。「ヌアラ」はただちにハイエンドファッションストアの支持を受け、プーマブランドが女性用アクティブウェアの最前線に進出する。 |
2001・モーター・レースの分野に介入すべく、ジョーダン・グランプリとパートナー契約を交わし、企業戦略の強化をはかる。 |
2002・ロンドン、ローマ、東京、ミラノ、ボストン、フランクフルト、シアトル、メルボルンにプーマストアをオープン。 |
2003・ジャマイカチームとの結びつきを、スポーツライフスタイルスニーカー「H. Street」を切り口にした雑誌・テレビ広告を含む春のブランドキャンペーンテーマとして訴求。 |
2004・国際的に有名なデザイナー、フィリップ・スタルクと共同制作の契約を交わす。プーマとフィリップ・スタルクによる革新的なフットウェア・コレクションを2004年秋に発表。 |
2005・スウェーデン陸上競技協会と契約。2005年1月1日から有効となる本契約によりプーマはスウェーデン代表チームが全ての主要なイベントで着用するウェアの納入業者となる。 |
2006・第四期長期事業発展計画が始まる。企業の拡大期である第四期では、“最も望まれるスポーツライフスタイルブランドになること”を長期目標として掲げる。 |
2007・モロッコサッカー協会と長期の提携契約を結ぶ。 |
2008・2008年サッカーアフリカカップの主要サプライヤーとして、16チーム中9チームに用具一式を供給する。 |


