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Tuesday, September 08th

フィジケラ、遂にフェラーリへ

fisi-large.jpg fisi-medium.jpg 14年の時を費やし、ジャンカルロ・フィジケラは遂に自身が持つ長年の夢を実現しました。当初フィジケラは95年の夏にミハエル・シューマッハのフェラーリにおける初代チーム・メイトとなるのではないかと噂されていましたが、結局、実際にフィジケラのフェラーリへの移籍が実現したのは2009年シーズンも後半にさしかかる頃となってしまいました。皮肉にも、シューマッハが体調面での問題によりF1復帰を撤回したことにより、今回のフィジケラの移籍が現実のものとなったのです。

10日前のスパのパドックは、「フィジケラがフェラーリへ移籍するのではないか」という噂で持ちきりでした。なぜなら、フィジケラは非力なフォース・インディアのマシンを駆り、スパで勝利を飾ったフェラーリのキミ・ライコネンから僅か数秒の差で2位フィニッシュを果たしたからです。また、長年フェラーリでテスト・ドライバーを務めたルカ・バドエルは10年間もF1での実戦から遠ざかっていたためタフなレースを強いられており、これもフィジケラのフェラーリ移籍に関する噂を煽る要因となっていました。

F1カレンダーの中でも最も名高いサーキットにおいて、フィジケラはベルギーGPの全セッションにおいて、ベテラン関係者の度肝を抜くことに成功しました。PUMAのF1記者であるアンソニー・デビッドソンは、レース後のコラムで次のように語っています:"フィジケラはこれまで自身より評価の高かったチーム・メイトのエイドリアン・スーティルを全セッションにおいて完全に凌駕し、そしてレースでも圧倒的な力の差を見せつけていたね。"これらの結果は、36歳になるフィジケラが少年時代から抱く長年の夢を実現するためには十分なものでした;遂にフィジケラは、フェラーリの本拠地マラネロでフェラーリとF1ドライバーとしての契約を交わしたのです。

フィジケラがフェラーリに移籍するまでの道のりは、非常に長いものでした。1996年、22歳のフィジケラはFIATとアルファ・ロメオをドライブする契約を交わし、暗黙の了解として、翌年にはフェラーリでミケーレ・アルボレート以来のイタリア人フェラーリ・ドライバーとしてF1デビューを果たすものと思われていました。しかし、結局フェラーリはフィジケラではなく、より経験のあるアイルランド人ドライバーのエディ・アーバインにシートを与えました。これにより、フィジケラは自身の長年の夢が永遠に潰えてしまったと思ったでしょう。

90年代中期におけるフィジケラのF1キャリアは人目を惹くに十分なものでしたが、フェラーリをドライブすることにより得られるはずだった栄光を手にする事は、結局出来ませんでした。96年のミナルディでのデビュー・シーズンは周囲を驚かすのに十分なもので、翌年にはジョーダンのマシンを駆り見事表彰台に上っています。ベネトンとルノー(双方ともフラビオ・ブリアトーレが仕切っており、実際には同一チーム)における2シーズンで2勝をマークしましたが、その後のフォース・インディアへの移籍によって、フィジケラのF1キャリアは終焉に向かうものと思われていました。

しかし、フィジケラの人格はF1のパドックでも愛されており、多くの関係者はフィジケラの残り僅かなF1キャリアにおける活躍を心から応援しています。フィジケラがスパで残した素晴らしい結果はインド中を盛り上げましたが、イタリアではそれ以上の盛り上がりが見られると予想されます・・・。

なぜなら、代役としてフェラーリを駆るフィジケラの活躍を期待させ得る前例が、次戦のモンツァにはあるからです。1982年に負傷欠場したディディエ・ピローニの代役として、フェラーリは伝説的イタリア系アメリカ人ドライバーであるマリオ・アンドレッティをミラノのロイヤル・パーク・サーキットで電撃的に復帰起用したのです。そして、1978年のチャンピオンであるアンドレッティは、見事その大役を果たすことに成功したのです。アンドレッティは1年ぶりのF1ドライブにもかかわらず、フェラーリを駆り見事ポールポジションを獲得したのです。もしフィジケラが今週土曜に行われるイタリアGPで同様の偉業を成し遂げることが出来れば、イタリア中がお祭り騒ぎとなることは間違いないでしょう。

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